「国家の外」で生きるという選択

かつて山へ、いまはネットへ
国家とは、領土・人口・徴税・記録といった「中央による管理」のシステムであり、それを前提に現代社会は成り立っています。しかし歴史の中で常に、その枠から“あえて距離を置いて生きる”人々も存在しました。
その象徴が、東南アジアの山岳地帯に広がる「ゾミア」と呼ばれる地域です。そこに暮らす諸民族は、国家の支配を避け、文字や戸籍すら持たず、必要に応じて取引だけを行い、あとは自律的に暮らしてきました。
この「国家の外にいる」という思想は、単なる逃避ではなく、意図的で文化的な選択です。
そして今、その選択肢は物理的な山岳地帯から、インターネットの構造そのものへと移ってきています。
Web空間に出現する「デジタル・ゾミア」
インターネット上でも、従来の“中央集権”が揺らいでいます。
たとえば、個人の情報や行動履歴を一手に握っていた「クッキー」技術。これは長らく企業や国家がユーザーをトラッキングし、管理・収益化する手段でした。
しかし今、そのサードパーティークッキーが主要ブラウザで廃止されつつあることにより、データ主権が「個人の手」に戻されつつあります。
これはまさに、「国家から逃れるように、ユーザーがデータ管理から逃れようとしている」構図とも言えます。デジタル領域におけるゾミア的な現象です。
アイデンティティを自分で持つという革命
ゾミアの民族たちは、戸籍も国籍も持たず、それでも社会を維持してきました。同じように、ブロックチェーン技術、とくに自己主権型アイデンティティ(SSI: Self-Sovereign Identity)は、「中央の認証なしに、自分の身分や資格を証明できる」技術です。
これはパスポートもマイナンバーもない人が、それでも「私は私です」と証明できる力を持つ、ということです。難民、無国籍者、あるいは国家の枠を望まない人にとって、この技術は国家に代わる存在証明の鍵となり得ます。
ゾミア的な「自律的に存在する」という哲学が、ブロックチェーンによってデジタルな制度として実装可能になりつつあるのです。
国家管理から合意ベースへ
ブロックチェーンの根幹にあるのは「中央がなくても信用を作れる」ことです。
国家がなくても、通貨が使え、契約が守られ、合意が記録される。これは、まさにゾミアの人々が現実に行ってきた「国家の外で秩序を保つ」試みの、現代的な再現です。
さらに、国家の法や企業の利用規約ではなく、DAO(分散型自律組織)という形式で、仲間内のルールをブロックチェーン上に作ることも可能です。
これはゾミアの民族が、村ごとに異なる習慣や規範を持ちながらも共同体を維持していた構造と極めて近い状態にあります。
つまり今、インターネット上には「ゾミア的な社会システムを自分たちで作る」技術が出揃いつつあるのです。
国家の外に、新しい“内側”が生まれている
ゾミアの人々は、国家に「取り込まれない」ことで自分たちの文化と生き方を守ってきました。
いま私たちは、Web上でも同じような岐路に立たされています。
クッキーという目に見えない支配装置を外し、ブロックチェーンで自己を定義し、合意で社会を築く。
それは、国家の外へ逃れることではなく、自分たちの内側から社会を作るという選択かもしれません。
物理的なゾミアは山の上にありますが、デジタルゾミアは私たちの手の中にあるのです。