幽明の境を超える夜

ハロウィンの夜、人々は仮装し、火を灯し、見えないものを迎え入れる。
それは単なる娯楽ではなく、古代から続く「死者と生者をつなぐ儀式」の記憶だ。
ケルトの祭りサウィンと日本のお盆は、遠く離れた文化でありながら、
どちらも“この世とあの世の境界”を意識する点で深く響き合っている。
そして今、メタバースやAIの時代に入り、私たちはまた別のかたちで
「幽明の境」に触れようとしている。

サウィン──この世とあの世が交わる夜

ハロウィンの起源であるサウィン（Samhain）は、
夏（命と光）と冬（死と闇）の境に行われたケルトの祭りだった。
10月31日の夜、生者と死者の世界の境がもっとも薄くなると信じられ、
人々は焚き火を焚き、仮面をかぶり、食べ物を供えた。
それは、悪霊を遠ざけながらも先祖の霊を迎える夜。
恐れと祈りが交錯する時間の中で、
人は“この世”の秩序を守ろうとした。

この“境界の夜”という感覚は、実は私たち日本人にも馴染みがある。

お盆──彼岸と此岸をつなぐ日

お盆は、仏教の「盂蘭盆会」と古代日本の祖霊信仰が融合した行事だ。
年に一度、亡くなった人の魂が家に帰ってくるとされ、
人々は提灯を灯し、迎え火を焚いて霊を導き、
送り火で再びあの世へと送り出す。
火を媒介にして死者と再会し、感謝と鎮魂を伝える――
その構造は、サウィンの焚き火とまったく同じだ。

つまり、ケルトと日本という異なる文化圏でありながら、
どちらも“幽（死者の世界）と明（生者の世界）”の境が開く時間を
儀式によって可視化してきた。
火や光、衣装や供物はすべて、その境界を示すしるしなのだ。

「幽明境を異にする」──死別を告げる

この感覚を最も的確に言い表す古い言葉がある。
「幽明境を異にする（ゆうめい さかいをことにす）」――。
中国の古典『後漢書』や『文選』に見られる表現で、
“幽（かくれた死者の世界）と明（あらわれた生者の世界）は境を異にする”、
つまり生と死は交わらない、という意味をもつ。
日本ではそこから転じて、
死別すること、再び会えないことを指す慣用句として使われてきた。

けれど、人はその断絶を受け入れるだけではなく、
ほんの一瞬でも“つながり”を取り戻そうとしてきた。
サウィンもお盆も、まさにそのための装置だった。
「幽明の境を異にする」――その言葉が示す絶対的な隔たりを、
人は火を灯し、祈りを捧げることで、
そっと越えようとしてきたのである。

メタバースが開く“新しい境界”

そして今、私たちは別のかたちでその境界に立たされている。
AIは亡くなった人の声や表情を再現し、
メタバースの中では、生前の姿そのままのアバターが歩き、話す。
SNSでは、すでにこの世にいない人のアカウントが、
アルゴリズムによって「生き続ける」ことも珍しくない。

どれが現実の声で、どれが過去の記録なのか。
誰が今ここにいて、誰がデータの中にいるのか。
私たちはその境目を完全には見分けられない。
もはや幽と明のあいだは、
年に一度開く“特別な夜”ではなく、
常にゆらいでいる日常になりつつある。

メタバースは、新しい「此岸と彼岸の中間世界」として現れ、
AIはその境界を映し出す鏡のような存在になった。
そこに映る姿が、かつての誰かの記憶なのか、
あるいはプログラムが紡いだ幻なのか、
私たちは確かめようがない。

私たちは静かに問われている。
スクリーンの向こうにいるその声は、“誰”なのか。