魔女に焚べる薪

虚構を信じる力
人間は、動物の中で唯一「存在しないものを信じる」ことができる生き物だと言われる。
神や国家、貨幣、法律、そして物語──それらはすべて目に見えない概念でありながら、数億人が共有し、行動を変え、社会を形づくってきた。
この「虚構を信じる力」こそがホモ・サピエンスを繁栄に導いた根源的な能力であり、他のどの種にもない創造の源だ。
しかし、その想像力は常に光と影を併せ持つ。
魔女は、その想像力が生んだ“負の遺産”の一つである。
魔女狩りが映した恐怖と支配の構造
中世ヨーロッパで「魔女」が実在の脅威として恐れられた時代、人々は疫病や不作、戦争、災いに理由を求めた。
科学がまだ不十分だった時代、社会は「理解できないもの」に形を与えることで安心を得ようとした。
その形こそが魔女だった。
宗教の教義、為政者の思惑、民衆の不安が絡み合い、虚構が現実の中で人を裁く装置へと変貌していった。
焚刑台の炎は、人間の想像がどこまで現実を支配できるかを示す象徴だった。
溶ける現実と虚構
魔女狩りは単なる迷信の歴史ではない。
それは「情報をどう受け取り、どう広めるか」という、人類が今も抱える根源的な課題の縮図でもある。
当時の情報網は、教会の説教と村のうわさ話だった。
「隣村で牛が死んだ」「あの女が呪いをかけたらしい」──そんな言葉が繰り返されるうちに、現実と虚構の境界は溶けていった。
人々の恐怖と同調の連鎖が、虚構を実体に変え、現実を上書きしていった。
情報は人を救うこともあれば、簡単に人を焼くこともある。
現代の魔女狩り
数百年が経ち、焚刑台は消えた。
けれど今、私たちは無数のスクリーンとSNSのタイムラインを手にしている。
誰もが「発信者」であり「裁く者」にもなれる世界。
一つのツイート、一つの動画、一つの切り抜きが、数万人の感情を一瞬で動かし、
見知らぬ誰かを“悪”として燃やしてしまうことがある。
そのスピードと規模は、かつての魔女狩りの比ではない。
だが、本質は変わっていない。
人は今も、理解できないものに理由を与え、物語を信じ、善と悪を裁こうとする。
情報を正しく伝えることは、今もなお人類の課題
情報を正しく伝えること。
虚構と事実を見分けること。
それは中世から続く、そしてこれからも終わらない人類の課題だ。
AIが文章を生成し、ニュースが秒単位で拡散される時代になっても、
私たちはなお「何を信じるか」を選び続けなければならない。
魔女という虚構を生んだ想像力は、同時に真実を求める力でもある。
人間が進化の過程で手に入れたこの二つの刃を、どう使うかが問われている。
現代の焚刑台で
WEBという現代の焚刑台で、誰もが火を放つことができる時代。
だからこそ、ひと呼吸おいて確かめたい。
その炎が照らしているのは、本当に“魔女”なのか、それとも自分の影なのか。