読書の秋
62.6%「読まない」
2023年の文化庁の調査では、1か月に1冊も本を読まない人が62.6%に達したという。
かつて4割台で横ばいだった不読層が一気に厚みを増した。
興味深いのは、「本は読まない」と答えた人の多くが、SNSやニュースサイトなど本以外の活字はほぼ毎日読んでいる点だ。
私たちは活字から離れたのではない。むしろ、かつてない量の文字を断片的に消費している。
不読の理由として最も多いのは「情報機器で時間が取られる」。
忙しさは確かに増している。
しかし、スマートフォンのスクリーンタイムを確認すれば、多くの人が1日に何時間もSNSや動画サイトに費やしていることに気づくはずだ。
ドーパミン・エコノミー
現代のデジタルメディアは、人間の脳内報酬系を巧みに刺激するよう設計されている。
過激なサムネイル、センセーショナルな見出し、次々と流れてくるショート動画。
これらは全て、瞬間的な快楽を与えることで、私たちの注意を奪い続ける。「次へ」「おすすめ」「関連」を追ううちに、私たちはほとんど考えずに指を動かし続ける。
15秒の動画、140字のつぶやき、3行の要約。情報は細切れになり、文脈は失われ、思考は表層をなぞるだけになる。
楽しい。理解できる。共感できる。だが、端末を置いた後に残るのは、奇妙な空虚だ。
大量に情報を消費したはずなのに、記憶には何も残っていない。
読書が与える「遅い時間」
本を読むことは、この高速社会においてあえて遅くなる選択だ。一冊に向き合えば、数時間から数日を要する。
著者の思考に寄り添い、論理をたどり、想像力を働かせる。
小説なら人物の内面へ、哲学書なら抽象概念へ、歴史書なら過去と現在を結ぶ糸へ
――本が提供するのは、断片ではなく構造化された世界である。ーー
ページをめくる間、私たちは必然的に自分と対話する。「自分ならどうするか」「この理屈は経験と合うか」「ここから何を学ぶか」。
その内省が、判断力と語彙と感受性を静かに鍛える。
思考の筋力を取り戻す
社会は便利さと即答を提供してくれる。
アルゴリズムが次に見るべきものを選び、AIが答えを用意し、インフルエンサーが胸の内を代弁してくれる。
だが、自分で仮説を立て、検証し、結論に責任を持つ力は、使わなければ衰える。
一冊を最初から最後まで読み通す行為は、その筋力を取り戻すトレーニングだ。
行間から意図を読み、前後の脈絡で意味を補い、異論と出会って立場を組み替える。
遅い時間の蓄積が、早い情報に振り回されない軸になる。
読書は“デトックス”ではなく“栄養”
読書を「デジタル・デトックス」と呼ぶのは簡単だが、本質は解毒ではなく栄養の補給だ。
多幸感で満たす砂糖ではなく、ゆっくり効くタンパク質のように、
読書は思考の体温を上げ、持久力を養う。スクロールで得た断片に、物語と論理の血を通わせる。
自分のペースを取り戻す
高速の時代に、遅くなることは贅沢だ。
だが、その贅沢は誰の手にも届く。必要なのは、最初の10分を確保する勇気だけ。
ページに没入し、時間を忘れ、現実から適切な距離を取る。その体験は、明日の判断と会話の質を確実に変える。
いつものようにフィードを開く指を、ほんの少しだけ止めてみる。
本棚の一冊、カバンに入れっぱなしの文庫、書店でふと目に留まった新刊。最初はぎこちない。
だが数ページの先に、忘れていた感覚がある。思考が深まり、言葉が増え、世界が少しだけ立体になる。
読書は、情報の消費者から思考する主体へ戻るための、最も確かな道のひとつだ。
今夜、一冊を開こう。失われつつある「深く考える力」を取り戻す、最初の一歩になるはずだ。