静かな森の中を歩いているとき、私たちの足元で数千キロメートルに及ぶ「会話」が飛び交っていると想像したことはあるだろうか。
地面からひょっこり顔を出すキノコは、実は巨大な生命体のほんの氷山の一角に過ぎない。本体は土壌に網目状に広がる「菌糸」であり、それは森の木々を一本のリレー線でつなぐ、地球上で最も古く、かつ最も精巧な通信ネットワークなのである。
このネットワークは「ウッド・ワイド・ウェブ」と呼ばれ、近年、科学者たちの間で「菌類には知性があるのではないか」という驚くべき仮説が現実味を帯びて語られ始めている。
キノコが喋る「50語の語彙」
イギリスの西イングランド大学のアンドリュー・アダマツキー教授は、菌糸の活動を調査する中で、驚くべき発見をした。
菌糸に電極を差し込み、その電気信号を詳しく分析したところ、人間が神経細胞を通じて情報を送るのと似た、規則的な電圧のスパイクが観測されたのである。
さらに興味深いのは、その信号のパターンだ。
アダマツキー教授がこの電気信号を数学的に解析した結果、そこには最大50語程度の「単語」に相当する独自の構造が含まれていることが判明した。
しかも、その単語の並び方や頻度は、英語やロシア語といった人間の言語が持つ数学的規則「ジップの法則」に酷似していた。つまり、キノコたちは単にデタラメな電気を流しているのではなく、何らかの意図を持って情報を「言語化」し、森の仲間たちに伝達している可能性が高いのである。
脳を持たない分散型知性
人間にとって、思考や計算には「脳」という中央処理装置が不可欠だ。
しかし、キノコには脳がない。それにもかかわらず、彼らは極めて論理的な判断を下す。
キノコに近い性質を持つ「粘菌」を使った、世界を驚かせた実験がある。
関東地方の地図を用意し、主要な駅がある場所にエサ(大好物の粉衣)を置く。そこに粘菌を放すと、彼らはエサを求めて触手を伸ばし、最短距離でそれらをつなぎ合わせようとする。
結果、粘菌はわずか数時間で、プロの設計士が何年もかけて作り上げた鉄道網とほぼ同じ、最も効率的なネットワークを構築してみせたのである。
これは、菌糸の一つひとつが小さな計算機として機能し、全体で一つの巨大な知性を形作っていることを意味している。いわば「クラウド・コンピューティング」を、キノコたちは数億年も前から地下で実践してきたのだ。彼らにとって森全体は一つの思考回路であり、木々は情報を中継するアンテナのような存在なのかもしれない。
有機コンピュータの夜明け
現在、人類はシリコンチップを用いた従来のコンピュータの限界を超えようと、量子コンピュータの開発に心血を注いでいる。しかし、その次に来る真の革命は、金属やシリコンではなく「生命」そのものをハードウェアにする未来かもしれない。
キノコの菌糸ネットワークが持つ、自己増殖し、自己修復し、そして膨大な情報を超低消費電力で処理する能力は、次世代の「有機的コンピュータ」の究極のモデルと言える。
森そのものを巨大なプロセッサとして活用し、菌糸の電気信号をプログラミング言語として操ることができれば、現在のスーパーコンピュータを遥かに凌駕する知性が誕生する可能性がある。
私たちはこれまで、森を単なる資源や風景として捉えてきた。しかし、実際には地球という惑星が何億年もかけてアップデートし続けてきた、超高性能な「有機マザーボード」なのかもしれない。
足元のキノコたちが交わす内緒話に耳を澄ませる日が来るとき、人類のテクノロジーはついに自然という知性に追いつくことになるだろう。



